ミルクティーに砂糖を入れて

好きなことと日常のことの記録

わたしの思うアイドルについて

わたしはアイドルが自分のために何かをしてくれたと思ったことがたぶんいままでに一度もない。それはわたしが応援しているアイドルが冷たいからとかそういうことじゃなくて、わたしの考え方の問題だ。

 

アイドルは一芸に秀でた人でない場合が多い。そのぶん、性格や内面性、彼らの物語性までもが売りになる。そうしたらまるっと、彼らの仕事だけではなく、彼ら自身が好きになるファンが多いのは当たり前だ。わたしだってそのひとり。
でも、それは決してアイドルだけの話じゃない気がしている。俳優でも声優でもアーティストでも駆け出しのときに彼らを支えているのはやっぱり彼ら自身が好きな「ファン」なんじゃないかな、と思う。距離が近いうちは言葉もまっすぐ届くし、上を目指していく物語もあるからそうやって好きになりやすい。それに、いくら才能があろうが、それに気づいて発信してくれる味方がぜったいに必要なはずだ。そういう意味で、彼らにもアイドルと平等にファンが必要だし、内面性だって売っている。
じゃあ「アイドル」とその他の俳優だとか声優だとかアーティストだとかはなにが違うの、と言われたらその売り方が続くかどうかなのかな、と思う。


畑違いの話をしているのでただの偏見だったら本当に申し訳ないんだけど、例えば山崎賢人さん。イケメンできらきらな役ばっかりやっていたイメージがあったけれど、最近少し仕事内容が変わってきた気がする。もっと、俳優らしい仕事ができるようになってきて、その方が生き生きとしている。ように見える。
べつに山崎賢人さんがファンを大切にしていないとかそういうことを話したいわけじゃないし、そもそもわたしは山崎賢人さんのことをよく知らないんだけど、演技自体が顔とか人格とかより評価されている今の方が本人にとっても嬉しいんだろうなと感じている。
ここまでの話はただの想像だけれど、アイドル以外の人たちはそうやって、「内面性や物語性」より「仕事そのものの出来」が重視されるようになってくるイメージがある。「彼ら自身」のファンが減り、「彼らの仕事のファン」が増える。
アイドルだってもちろん「仕事そのものの出来」が大事だ。いくらファンがいようが仕事ができなくちゃだめだろう。でも違うのは仕事そのものの出来」がいくら評価されても「内面性や物語性」をある程度売ることがやめられない。それは、もう「アイドル」がそういう存在だからとしか言いようがないんじゃないかな。彼らは「アイドル」になることを選んだ時点で「彼ら自身」がみられることを覚悟している。
せめて、わたしにとってのアイドルはそういう存在だ。彼ら自身を好きでいることを許してくれる存在こそアイドルなのだ。

 

Hey!Say!7のラジオうるじゃんのコーナーに「Top3」と呼ばれるものがある。リスナーがお題と自分の考えるランキングをラジオに送り、担当メンバーがそれを当てるといううものだ。
例えば最新のラジオでは
お題は百人一首が強そうなメンバーtop3
リスナーの予想は1位いのおくん2位ゆうとくん3位薮くん
だった。
このコーナーで7のみんなは口々に「俺らからみるメンバーとみんなからみるメンバーは違う」みたいなことを言う。そう言った上で、「こう見えてるんだね興味深い」とわたしたちが勝手にメンバーの内面性やキャラクター性を想像することを許してくれている。
そこがとてもアイドルらしいな、とわたしは思う。

アイドルでいる限り仕事そのものだけをみてもらうのは難しくて、どうしても他の職業より色濃く本人を見られてしまう。悪いとか良いとかじゃなくて、それがアイドルという存在なんじゃないかなって。

 

わたしはそういう需要を理解してアイドルでいてくれる彼らがとても好きだ。「アイドル」は不利なレッテルにもなりうる。アイドル主演映画というだけで、避ける人も多いだろう。そこには彼の評価は仕事そのものに向いていないんじゃないか、という疑いがあるからなのもわかる。そんな中でもアイドルで居続ける覚悟をしているところを、わたしはとんでもなく尊いと感じてしまう。

けれど、わたしはそれが、そうやって彼らを好きでいるファンのためだとはあんまり思っていない。(やっと冒頭につながる)
だって、アイドルだってファンがいなくてもやっていけるはずだ。またまた畑違いの発言をして申し訳ないけどTOKIOのFC会員数はHey!Say!JUMPよりぜんぜん少ない。でも、仕事が多いのも認知度が高いのもTOKIOだ。ファンがいなくたって仕事ができれば仕事はくる。
じゃあ、なんで「アイドル」が「アイドル」でいるんだろうって考えたとき、彼らが「アイドル」でいたいからだと思った。というか、わたしはそう信じたい。

 

アイドルを好きになったきっかけはジャニーズJr.の松村北斗くんだった。彼はクロサギ山下智久くんに憧れて事務所入りしたと言っている。
それを聞いたときわたしは不思議に思った。演技をしている山下くんに憧れたなら、なんで俳優を目指さなかったんだろうって。なんでアイドルになろうと思ったんだろうって。

いま好きなのは知念侑李くんだ。彼は大野智くんが踊っているのに惹かれてジャニーズに入ろうと思った。ここでやっぱり疑問に思うわけだ。なんでダンサーじゃなかったんだろう。

 

おたくの自己中心的なこじつけかもしれないけれど、それは「ジャニーズ」に、もとい「アイドル」に何かしらの魅力を感じたからなんじゃないかな、と思うし、思いたい。

わたしはミュージカルもバレエも好きだったけど、どちらにも熱中しなかった。ヒップホップにも興味がなかったし、音楽はずっと歌詞重視だった。
そんなわたしがいまだれかのパフォーマンスをみてこんなに幸せになれるのって結構すごいことだと思う。
そのパフォーマンスができるのは「アイドル」だけだし、わたしは間違いなく「アイドルのパフォーマンス」が好きだ。だって女子ドルもなかなか推しはできないけどみるのが好きだし、ジャニーズはDDだからテレビに出れば推しグループ以外も見る。ほんとのほんとに「アイドルのパフォーマンス」がすきだ。

 

前述したようにアイドルは一芸に秀でていない場合が多い。ダンスだって歌だってうまいものがみたければ、他にいくらでもある。だけど、アイドルダンスはアイドルだけのもので、それにはそれの価値があると主張したい。

これがすきなものびいきなのは認めるけど、アイドルって一等賞にきらきらしていると思う。同じ地球上に存在しているのに、まるで違う星とか違う次元とかから来たみたいに輝いている。そこに、元気をもらう人はぜったいいると思うんだ。わたしがそうなんだからいないわけない。

だからこそ、本人たちにも「アイドル」をやりたいという気持ちがあったら素敵だなぁと想像してしまう。わたしとおんなじように、アイドルのパフォーマンスに惹かれてアイドルに憧れて、アイドルをしていたらいいなって。

 

わたしはたしかにアイドルがファンのために何かをしていると感じたことはない。それはたぶん、ファンのために行動することをアイドルとしての要素の一つと捉えていて、彼らがそうしているのは彼ら自身が思い描く「アイドル」に近づくためだと思っているからだ。
だから勝手にアイドルがファンに尽くすことを一種のプロ意識だと思っているのだ。わたしたちのため、じゃなくて、じぶんのためにアイドルをやっているんだったら嬉しいなと考えているからこそ、そう思うのだ。